香蘭高等学校の歴史  

本校初代佐香ハル校長は、明治36年、東京神田三崎町で佐香和洋裁専門学校を開設しました。当時の卒業生には、大妻女子大学学長故大妻コタカ女史がいます。同38年、学校を徳島市幟町に移しました。
 昭和5年、徳島県唯一の私立高等女学校を併設し、今日に至るまでに幾多の卒業生、有名人を輩出しています。四国女子大学元理事長故佐藤カツ女史、原学園初代理事長故原ムメ女史、その他県内洋裁学校長数名。東京吉井式和裁早縫学校校長医学博士吉井ツルエ女史、医学博士土井千恵子女史。オリムピック円盤投げ世界第4位の吉野とよ子女史、全国卓球大会に徳島県代表選手として10年連続出場し、全国体育連盟より表彰された高尾八重子女史。徳島県美術展書道部門特選の近藤静苑、田中萃香、緒方修石、高木草月、橋本喜久子の各女史。洋画の大神良代女史。元上野音楽大学校(芸大)教授沢とも子女史、世界的ピアニスト舘野泉夫人バイオリニストの館野京子女史等。
 このように伝統に輝く真摯堅実な校風は、数多くの分野にわたって優れた人材を生み出しています。
 創立以来110年の伝統を受け継ぎながら、校訓「自主・清新・礼儀」のもとさらなる飛躍を目指して、保護者に対しては信頼される学校づくりに取り組み、温かい雰囲気の中で、真剣な授業が展開され、和やかな環境の中で学業、部活動等に励み、各人の個性を伸ばし教育の質を高め、生徒各自の進路希望の実現のため、教職員が一丸となってきめ細やかな指導の充実に取り組んでいます。
 創立当初から一貫したそれらの教育の精神は現在の生徒に受け継がれています。

校歌 》 作詞 佐香栄次郎     作曲 高西菊雄

  1 眉山の翠に映えて             2 水青き吉野の流れ

 学園の甍輝く                一すじに変らぬ誠

 伝え来し胸に誇りの            汲み交す若き瞳に

 蘭の花床しく香る              清新の息吹は通う

 あゝ光にみてり名も              あゝ希望にみてり名も

香蘭の学びの園生            香蘭の学びの園生    

   校歌は、本学園の元理事長兼校長であった佐香栄次郎が作詞、作曲は高西菊雄氏の手によるものです。昭和5年、徳島香蘭高等女学校が設置認可され、徳島県の情景と女生徒を蘭の花に見立て作詞作曲されました。
 
           

《 校訓 》

 「自主・清新・礼儀」

昭和55年4月1日制定

教育とは「学んで(いと)はず、教えて()まず」と論語や孟子の書にあるのが、東洋ではじめて述べられた教育の概念といわれていますが、昨今、人々の温かい心の水は枯れて、人間砂漠化しているように映っています。ふと、このように気持ちを奪われかけていた時に、「おはようございます」と美しささえも感じられる光景に出会い、教育の原点に触れた感じがしました。
“子供の目は澄み生き生きとしている”礼儀作法は人をつくり、人と人との間をなごやかにして、住みよい社会を形づくっていくものであります。あなたたちの美しい目が、未来を開眼しているようです。清新で活力ある校風を樹立しなければなりません。この考えのもと校訓の「自主・清新・礼儀」を制定しました。